・所在地: ソウル市中区貞洞(Jung-dong).
・入場時間:   [03月~10月 ] 09:00~17:30     [11月~02月] 09:00~16:30
・入場料: 25~64歳 700ウォン / 19~24歳 300ウォン
・行き方 : 地下鉄1、2号線市庁駅 徒歩5分

中区貞洞1-23に所在した史跡第124号の徳寿宮はもともと第9代王様成宗の兄である月山大君(1454~1488)の私邸であったが1592年の壬辰倭乱時に王宮が全焼したため1593年から行宮(仮王宮)として使い始めた。宣祖(第14代)の後に続いだ光海君は1608年にこの行宮で即位した後1611年に慶運宮(キョンウングン)と改めて7年間王宮に使った後1615年に昌徳宮に移り、ここには先王である宣祖の継妃である仁穆大妃(インモック大妃)の居所とした。1618年にはインモック大妃の尊号を廃止して、慶運宮から西宮と格下げした。1623年の仁祖(第16代王様)反政(クーデタ)で光海君が廃位されて仁祖がここで即位したが、昌徳宮に移った後270年間別宮として使われた。1897年高宗皇帝(第26代)がロシア公館から還御してここを再び王宮に使うことになったが、その時から再び 慶雲宮 と呼ぶことになり、その規模も広げた。そして高宗皇帝が1907年純宗(第27代)に譲位して、王宮を昌徳宮に移した後にもそこで暮らしたためその時から高宗皇帝の長寿を祈る意味で徳寿宮と呼ばれることになった.

徳寿宮には過去建物がたくさんあったが現在18、635坪の境内に残っているのは大漢門、中和殿、 觀明門、昔御堂 、浚明堂、ズックゾダン、 咸寧殿、徳弘殿及び 石造殿などに過ぎない。徳寿宮は特に旧韓末非運の皇帝高宗が日帝の圧迫に譲位を余儀なくされ、恨み深い余生を過ごしていて1919年1月22日に徳寿宮 咸寧殿で日帝の手に毒殺されて亡くなられたとして同年3月1日に勃発した己未年独立運動の直接的な契機となった所である.